覚醒への助走 浅田梨奈

覚醒への助走 浅田梨奈

第1回|中学時代は部活のバレーボールとのかけもちで…

まだタイトルこそ手にしていない(10月10日現在)ものの、デビュー5年目での進化が目覚ましい浅田梨奈プロ。

ボウリングジャーナル・7月号の表紙に登場いただくとともに、表紙の顔として、インタビューのさわりを掲載したが、ここではフルバージョンをお届けする。

 

──ボウリングとの出合いはどういうものだったのですか。

浅田 両親が趣味でやっていて、いわゆるセンターボウラーでしたが、週末に投げに行くのに連れていかれて、待っている間同じ年頃の子たちがいたので、かくれんぼや鬼ごっこをしたりゲームで遊んだりと、ボウリング場が遊び場でした。

 

──小さいころはあまり投げていなかったのですか。

浅田 小学3年生か4年生のときに、地元の新聞社が主催して毎年行われている“親子ボウリング大会に出てみない?”と母親に言われて、じゃあ出てみようと、軽く練習して出たんですが、全然ダメでした。終わって表彰台に登っている子たちを見たら、全員がジュニアクラブに入っている子たちでした。ああジュニアクラブに通わないとうまくなれないんだと思ったのが、少し本気でやってみようと思ったきっかけでした。そこからジュニア教室に通うようになりました。

 

──ジュニアクラブに入って、すぐに上達したのですか。

浅田 ストライクを出せない、スペアが取れないとか、うまくいかなくて練習中ずっと泣いていて、母親にすごく怒られていた記憶があります。でもセンターの大会に出るようになって、大人の人たちがすごく応援してくれたこともあって、どんどんはまっていきました。

 

──中学でもボウリングを続けたのですか。

浅田 中学ではクラブ活動をやるつもりだったので、そこまで続けるとは思っていませんでした。6年生の終わり、3月にオール関東ジュニアっていう大会に「小学生時代の思い出だと思って出てみれば」と母親たちにいわれて初めて出たら、ビギナーズラックで3位になったんです。そして1位の子も2位の子も、小さいころから本格的にやっている子だった。同じ年ぐらいの子が、ボウリングを競技としてやっているんだ、そして単純にその子たちがカッコいいと思って、もっとちゃんとやりたいと思うようになりました。

 

──それで中学でも続けることに…

浅田 中学に入るときに、その当時ボウリングを教わっていた藤澤淳二プロに「ボウリングも続けたいけど、部活でバレーボールもやりたいんです」と相談したら、体力もつけられるし、あいさつなど部活だからこそいろいろ学べることもあるので、ぜひやりなさいといっていただきました。だから中学時代は、部活が夕方6時ぐらいに終わったら、すぐにボウリング場に連れていってもらって練習をするというように、両方を掛け持ちでやっていました。

 

──3年生時の全日本中学選手権で3位に入っていますね。

浅田 バレーボールの部活も県大会で負けて夏前には終わり、ボウリングに専念できるようになったのが、その成績に結びついたと思います。それでボウリングが一層楽しくなって、高校はやりたいこともあったけど、部活には入らず、ボウリングに専念することにしました。たまたまなのか、狙ってなのか…(笑)入った高校は、ボウリング場まで徒歩2分とかからないところにありました。

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