覚醒への助走 浅田梨奈

覚醒への助走 浅田梨奈

第2回|人生を変えた全日本高校選手権の優勝

まだタイトルこそ手にしていない(10月10日現在)ものの、デビュー5年目での進化が目覚ましい浅田梨奈プロ。

ボウリングジャーナル・7月号の表紙に登場いただくとともに、表紙の顔として、インタビューのさわりを掲載したが、ここではフルバージョンをお届けする。

 

──高校に入ってその年の全日本高校選手権でいきなり3位、さらに翌年は優勝しています。

浅田 すごいですね(笑)、自分でもびっくりです。1年生のときに、国体のポスターのモデルに起用されて、それをきっかけに、ナショナルチームの人たちに教えてもらったりする機会が増えました。

 

──それで自分でもナショナルチームの選考会に挑戦しようと…。

浅田 高校2年の春に選考会があって、当時のナショナルチームは、ユースのカテゴリーはなくて、高校生で入るのは狭き門でしたが、たくさん吸収できるものがあるから、と勧められて受けました。スポーツコンディションで投げるのも初めてでしたし、まったく打てなくて落ちましたが、その後もナショナルチームの下地賀寿守コーチからもアドバイスをいただきながら、こういうことも覚えなければいけないんだと思いながら練習をしていました。

 

──それが高校選手権の優勝につながったのですね。

浅田 優勝はまぐれです(笑)。私のなかでは奇跡に近かった。国体のポスターに起用されたということで、そのときはテレビの取材がきていたんです。カメラを向けられながら投げるなんて初めてですし、どうしよう、どうしようという感じで、頭が真っ白の状態でした。その緊張感がよかったのかどうか…(笑)その状況で優勝できたというのは、人生のなかでも最高の運を使ったと思います。なにより、協会の人たちも喜んでいただいて、それがよかったなと思いました。

 

──その優勝がナショナルチーム入りの後押しになったのですか。

浅田 ちょうどそのころにナショナルチームをやめた人がいて、欠員が出たんです。あとから聞いた話ですが、選考会を受けた人のなかから選ぶということで、どこかの大会で優勝した人を入れるという話になっていたようです。だから優勝が決まって表彰式の前に、ナショナルチームの先輩の方におめでとうと言われて、え、どういうことですかと聞いたら、この優勝でナショナルチーム入りが決まったよっていわれたんです。だからいろんな運が重なった優勝でしたね。

 

──その後の記録を見ていると、3位という成績が多いですね。そこで運を使いすぎたのですか?

浅田 そうですね。大学3年時の個人選手権もパーフェクトと800シリーズを出しながら、結局3位でしたし、国体も含め、とにかく3位が多くて、同世代の子たちから“ブロンズメダルコレクター”ってすごくいわれていました(苦笑)。

 

──大学卒業後は長崎国体の強化選手として、長崎に移り住むことになるのですね。

浅田 2年後の長崎国体を目指して、またナショナルチームでもその2年間の間にある世界選手権やアジア競技大会という大目標に向けて、さあがんばるぞっていう気持ちでした。ところがその矢先の4月のナショナルチームの選考会で落ちてしまったんです。内容が最悪で、結果は発表される前からわかっていましたが、悔しくてずっと泣いていました。

 

──大きな目標がなくなって、モチベーションも低下したのではないですか。

浅田 ぽっかり胸に穴が開いた感じでしたが、国体のために長崎に行ったわけですから、落ち込んでもいられない。とにかくそちらにシフトチェンジして、これまでも、今後もこんなにボウリング漬けになることはないだろうと思うくらい、ひたすら投げていました。国体は思うような結果ではありませんでしたが、最終目標が天皇杯、皇后杯の獲得というところだったので、総合優勝ができて、結果オーライでした。

 

──国体が終わったらプロテストを受けることは、早くから決めていたのですか。

浅田 ナショナルチームに残れなかったときは、国体が終わったらやめようと思っていました。でも当時プロ入りしたばかりの藤井(信人)プロが、コーチとして長崎に来ていたので、九州のプロアマ月例会とか、承認大会などに一緒についていって投げていたんです。それまでプロの人と投げる大会って、プリンスカップしか出たことがなかったのが、そういう機会がどんどん増えてきて、初めてプロという選択肢も考えるようになりました。

 

──プロテスト受験を決断したのはいつですか。

浅田 長崎国体が終わる直前ぐらいです。国体前の1年ぐらいは、本当に鬼のように投げていて、こんなに練習させてもらうことって今後もないだろうと思ったら、受けるなら今だと思ったんです。

 

──トップ合格を狙っていたのではないですか。

浅田 大会に出たかったので、そのための条件としてはトップ合格だと思ったので、狙っていました。でも全然ダメでした。一生懸命投げた結果なので、あれがあの時点の私の実力だったと思います。48ゲームをトータルして浮き沈みは少なかったと思うけど、ビッグゲームを重ねていくタイプではない。今にもつながっているけど、それが私よりも上に行った人と比べて、足りなかったところだと思います。

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