ボールの進化によってボウリングはどう変化した?

ボールの進化によってボウリングはどう変化した?

➀ ラバーボールとポリエステルボールの時代

近代ボウリング史は、ボールの進化の歴史ともいえる。とくに近年は、ボールをいかに使い分けるかが、競技における大きな要素を占めているといっても過言ではない。ドリラー、またインストラクターという立場でその変遷をつぶさに見てきた日坂義人さんに、ボールの進化と、それがボウリングにどのような影響をもたらしてきたのかについて、連載をお願いした。

(この連載は、ボウリングジャーナル本紙の2014年9月号から2015年9月号まで連載したものを、この度、新たに加筆訂正して再録させていただきます)

私がドリルの仕事に携わるようになったのは、勤務していた農林業機械メーカーが、昭和47年(1972年)に神奈川県横須賀市に追浜ヘルスボウル(2000年閉鎖)をオープンさせ、そちらに出向になったのがきっかけでした。担当は企画のポジションでしたが「プロショップもやれ、それには穴をあける人間がいないので、半年ぐらい外で修行をして身につけてこい」という社命でした。

以来42年、ボウリングボールに携わり続けてきた私の経験をもとに、ボールの進化の歴史を中心に、お話を進めたいと思います。第1回は、ラバー(エボナイト)ボールとポリエステル(プラスチック)ボールの時代です。

ボールの進化という場合、多くはカバーストック(表面素材)の変遷の歴史でもあります。

東京・青山に、民間第1号の東京ボウリングセンターが誕生(1952年)して以降、ボウリングボールが輸入されるようになりますが、当時はほとんどがラバーボールでした。

1970年代に入り、ポリエステル(プラスチック)ボールが登場し、しばらくは、ラバーボールとポリエステルボールが共存する時代が続きます。ポリエステルの最大の利点は、カラーボールが作れるということでした。ラバーボールはほぼ黒1色でしたが、カラフルなボールがラインナップされるようになりました。

少し時代をさかのぼりますが、当初、ボールは硬いほうが反発力がある、というのが定説でした。ところが1970年代の中ごろに、ドン・マッキューンというPBAの選手が、ラバーボールをメチルエチルケトンという溶剤につけると、表面が非常に軟らかくなった。それを使用すると、ストライク率が高くなり、出るトーナメント、出るトーナメントで優勝をさらってしまいました。それまでの常識を覆し、ボールは軟らかいほうがピンアクションがいいんだというのを証明した、歴史の転換点でした。

各メーカーは、こぞって表面の軟らかいボールの開発に取り組み、ついにはポリエステルボールで、表面硬度が65度というボールも作られました。65度というと、ボールベースの上に載せているだけで、その跡がつくくらいの軟らかさでした。

ABC(現在のUSBC)は、どこかで歯止めをかけなければと、1978年に、表面硬度は72度以上でなければいけないという規定を作ります。ボウラーならご存知のとおり、そのルールは現在にも生きています。


著者プロフィール
日坂義人(ひさかよしひと)
1949年生まれ。東京都出身。ドリラー・インストラクター歴47年。神奈川県のスポルト八景ボウルとハマボールに店舗を持つヒサカプロショップ代表。日本オリンピック委員会強化スタッフ・JPBA理事、JBC指導委員会認証部会公認ドリラー。JPBAインストラクター委員会メンバー。インターナショナルシルバーコーチ。

Top